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2005年09月16日

旧日立航空機変電所

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旧日立航空機変電所↑[QTVR 1.9MB]

Panoramas of WW2 Landmarksは、戦後60年を期に、第二次世界大戦の遺構をフルスクリーンQTVRでアーカイブすることを目的とした、世界規模のインターネット・プロジェクトです。
当ブログで紹介する第二弾は、東京都東大和市の「旧日立航空機株式会社」です。

現在このプロジェクトには、22カ国から32人の写真家が、152点を超えるパノラマ写真を提供していいます。WW2のサイトはこちらからご覧頂けますので、ぜひ、ご覧下さい。 → http://ww2panorama.org/

【旧日立航空機株式会社について】
この建物は航空機のエンジンを製造する軍需工場、日立航空機株式会社立川工場の変電所でした。
1938年に建設されました。
外壁に残る無数の穴は、太平洋戦争の時に機銃掃射や爆撃機の爆弾が炸裂してできたものです。
1945年2月から4月にかけて3回爆撃があり110余名の死者と多くの負傷者が出ました。

この変電所は経営会社が変わった戦後もほとんど修理の手を加えず、1993年12月まで工場に電気を送り続けていました。
都立公園として整備されるに当たり、一旦は取り壊される運命にありました。
貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいという市民の活動や、元従業員の方々の熱意がひとつの運動となり、保存されました。

建物手前にあるのは、平成12年に取り壊された給水塔の一部が、モニュメントとして展示されているものです。
給水塔の表面にも多くの爆撃の跡が残っています。

QTVR
モニュメント↑[QTVR 1.9MB]

-- 東京都東大和市は1995年10月に、
-- この建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、
-- 末永く保存し公開するために修復工事を施しました。
-- 戦争の傷跡を残す建物は次々に取り壊され、
-- 戦争に対する私たちの記憶もうすらいできています。
-- 東大和市教育委員会は、この建物から、
-- 戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて
-- 受けとめていただきたいと願っています。
(展示資料より)

建物を取り囲み、公園が存在します。そこには、戦争の傷跡とは対局の市民の穏やかな風景があります。

このプロジェクトの目的をご理解頂き、特別の撮影許可を下さった東大和市教育委員会に感謝します。なお、解説は展示資料を参考とさせて頂きました。

2005年09月02日

市ヶ谷記念館

QTVRMAP
市ヶ谷記念館 大講堂↑[QTVR 1.9MB]

Panoramas of WW2 Landmarksは、戦後60年を迎え、第二次世界大戦の遺構をフルスクリーンQTVRでアーカイブすることを目的とした、世界規模のインターネット・プロジェクトです。
このプロジェクトは当初、ヨーロッパ地域を対象としていましたが、今回、アジアにも拡張されたのを機会に、地元東京を取材し参加しました。当ブログで紹介する第一弾は、東京裁判の行われた「市ヶ谷記念館 大講堂」です。

現在、22カ国から30人の写真家が、150点を超えるパノラマ写真を提供していいます。ぜひ、ご覧下さい。WW2のサイトはこちらからご覧頂けます。→ http://ww2panorama.org/

【市ヶ谷記念館 大講堂について】
この部屋は1934年陸軍士官学校の大講堂として作られた施設です。1945年8月、米軍に接収され、翌年5月極東軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用されました。

現在の内部は2000年に、可能な限り元の部材を利用して移設・復元されたものですが、椅子、机、展示物などは当時のものではありません。
正面演壇上段が同時通訳のブース、下段はGHQ(連合軍総司令部)の高官席となりました。
裁判官席は演壇に向かって左側でその前方に証言台、裁判官席に相対して右側に被告人席が置かれました。
講堂の入り口扉近く、裁判官席側は海外の報道関係者席、被告人側は日本の報道関係者席。演壇の向かい側2階席は一般傍聴人席と被告人の家族席が設けられました。

1946年4月29日、11ヶ国連合国名により「ポツダム宣言第10項」の戦犯処罰規定を根拠に起訴。
「平和に対する罪」、「殺人と通例の戦争犯罪」、「人道に対する罪」の3つに分類された訴因に基づき裁判は行われました。
1946年5月3日開廷から1948年11月12日判決が下されるまでの924日間使用されました。
判決は絞首刑7人、終身刑16人、有期禁固刑2人、判決前に病死2人、精神障害による訴追免除1人。

プロジェクトの目的をご理解頂き、特別の撮影許可を頂いた防衛庁に感謝します。

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