宝来パン本店
函館の古い町並みが残る末広町に在る老舗パン屋である。家族旅行で訪れたのが6月初旬。宿泊先のホテルへの帰り道、レトロな建物と看板に惹かれ入ってみた。建物は大正10(1921)年の大火の後、建てられたものらしい。店内には昔ながらのシンプルな菓子パンやクッキーが並んでいる。写真はご主人の村上金之助さん。アメリカ帰りの創業者に弟子入りしたのが昭和29年、昭和42年に店を継いで店主となった。とても物腰柔らかなおやじさんであった。
函館は江戸時代末期より海外に門戸が開かれ(日米和親条約)貿易が始まり、アメリカ、ロシア等、海外の文化が流入し影響を受けた街である。建築物では上下和洋折衷住宅(1階が和風、2階が洋風)等、ハイカラなものが今でも多く残っている。
この宝来パン本店のある通りには、古いコンクリート造の建築物が特に多い。調べてみると、電車通りと交差し南北に伸びるこの通りは銀座通りと呼ばれ、大正〜昭和初期にかけて東京以北最大級の繁華街だったようだ。
当時の函館は度重なる大火に悩まされていた。大正10年の大火の後、復興計画ではこの銀座通りが防火線として指定され建物は鉄筋コンクリート造が推奨、建築に当たっては補助金も出た。ただ、従来の木造住宅に比べ鉄筋コンクリート造はかなりのコスト高となるため、当時、復興事業に参加していた建築家 中村鎮の考案した通称・鎮ブロック(中村式鉄筋コンクリートブロック構造)が活躍したそうだ(参照:川島智生「耐火都市の建築思想 I – 大正期・鉄筋コンクリート造建築の先駆都市・函館の位相 – 2009」)
鎮ブロックは、ブロックそのものが型枠となるため木材を使った型枠をわざわざ用いる必要がなく、また、セメントや鉄筋が節約されるメリットがあった。この宝来パン本店の建物が鎮ブロックかどうかは不明であるが、大正10年にはここ銀座街に中村鎮の作品のうち16件が一斉に着工されていた。(参照:早稲田建築 in 北海道 – 早稲田大学建築学科 創設100周年稲門建築会 北海道支部 記念事業 – 2011)。今では寂れてしまったこの銀座通りではあるが、これらの建物のファサードに残る控えめな装飾?を観ると華やかだった当時の空気にほんの少し触れたような気分になる。
私自身、小学生の一時期、この銀座通りのすぐ近くに住んでいた。今から半世紀以上前のことであるが…。この通りの南側にあるグリーンベルト(昭和9年の大火後に防火帯として設置)は放課後の遊び場でだったので鮮明に記憶に残っているのだが、銀座通りについては残念ながら全く記憶にない。やはり小学生とジジイ、年代によっての興味の対象が違うということか?半世紀前に戻ってもう一度この通りを歩いてみたい、そんな感情が湧いてくる宝来パン本店と銀座通りであった。
[宝来パン本店]
場所:北海道函館市末広町7-15
撮影:2015年6月8日
機材:Canon 6D + EF 8-15mm F4 L Fisheye@15mm + Nodal Ninja 4
アプリ:Lightroom, Photo Shop, PTGui Pro, Pano2VR
ピクセルサイズ:14,392pix * 7,196pix(店内)
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