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DIVE DOCUMENT 琴似屯田兵村

DIVE DOCUMENT 琴似屯田兵村

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Open Panorama2011年3月28日〜4月8日まで札幌市庁舎で行われた展示「DIVE DOCUMENT 琴似屯田兵村」の模様である。琴似屯田兵村とは、明治初期、北海道開拓と北方警備のため入植する屯田兵※1のためにつくられた最初の兵村である。村は整然と区画され全208個の兵屋が建てられた。その中の第133号兵屋※2が今も国の史跡として残っている。

この展示は、その第133号兵屋の柾葺屋根葺替改修工事の竣工を記念して行われた企画である。葺替改修工事竣工記念?とは、とっても地味な響きであるのだが(苦笑)。

↓ 琴似屯田兵屋の屋根が開いた状態のパノラマ
Open Panoramaそもそも事の発端は、当時、工事の担当であった札幌市文化財課 熊谷直樹氏が開け放たれた兵屋の天井から見える景色に感動したことから始まった。その感動をみんなで共有したいという思いが、まるで、桃太郎の団子?のように、周りの人々を惹きつけ、市庁舎ロビーの展示まで突き進んだのである。

最初に家来に…もとい、参加したのは友人の彫刻家、唐牛幸史氏。そして、次に団子に目が眩んだのが私、いわゆる、サル役である(笑)。そして、三人の札幌歴史探訪の旅というか、まあ珍道中は始まったのである。入口は、もちろん、琴似屯田兵村の出来た明治初期。

その頃は、週末ともなると三人集まり、市の文化財関連の施設を訪ねて話を伺ったり、賛同し参加してくれるメンバーを訪ねたり。夜は夜でその日の取材ネタをサカナに居酒屋「ゆかり」で熱いミーティングとなる。それは単なる宴会だろ?と誤解されるかもしれない、実際、そうかも知れない(汗)が、この「ゆかり」のマスターの宇田川さんは東大名誉教授で考古学のスペシャリストなのだ。その宇田川さんにアドバイスを頂きたい、という思惑もあったわけだ。

当時の資料を調べ始め、まず驚いたのは多くのパノラマ写真が残されていた事だ。国家プロジェクトとして進められた北海道開拓使には巨額の予算が当てられ、記録としての写真も盛んに撮られていた。これは、どうも第2代北海道開拓長官 東久世通禧※3の影響が大きかったようだ。渋谷四郎著「北海道写真史」によると、もともと公家であった東久世は、幕末の政変で太宰府に幽居中、長崎で写真に接し、その表現力と記録性に強い関心を持っていたらしい。後に自身で撮影も試みている。

ちなみに、この時期、なぜ、開拓史の記録としてパノラマが盛んに撮られたのだろう?この件については、photographers’ gallery press「田本研造」※4の中の三井圭司著「パノラマ写真考 – モノとしての古写真」の中で触れられている。当時、測量をして地図を起こすより、地形を含めた現地の様子を、手っ取り早く伝えるにはパノラマがもってこいだったようだ。

当時の写真についてもう一点。
このパノラマが撮られた1875年の日本は、湿版写真※5(コロジオン)の時代である。湿版写真では、撮影後、ガラス板に塗られたコロジオンが乾く前に現像する必要が有り、撮影現場には、必ず、暗室を持って行く必要が有った。複数毎の写真が必要なパノラマの場合、現像作業を考えると、大変な作業だったことが容易に想像される。

↓ 琴似兵村屯田兵の開墾着手記念撮影パノラマ
Open Panoramaそして、そのパノラマの中、最も印象的だったのがこの一枚「琴似兵村屯田兵の開墾着手記念撮影」明治8(1875)年7月撮影である。北海道の開拓と北方警備のため入植した最初の屯田兵の集合写真だ。きっと、第133号兵屋の主、清野専次郎さんも写っているはずだ。

琴似の屯田兵は、主に仙台藩亘理、会津藩出身。明治維新(戊辰戦争)※6で賊軍とされた彼らは、新天地を求め北へ向かった。パノラマ写真の中には、大柄でしっかりと前を見据えているもの、うつむき加減のもの、家族で移住して来たのだろう、女性、子どもも写っている。彼らの目に新天地はどのように映ったのだろう?

このパノラマを私の展示のメインに据えようと決めてから、彼らの視線の先に映っていただろう情景について考えた。ならばと、それから136年後の景色をバックに彼らの子孫たちを撮ることとした。それが冒頭のパノラマである。

当時とほぼ同じ場所、琴似小学校校庭にて、生徒や先生、琴似屯田子孫会、ワークショップメンバー他に参加して頂き撮影をした。青空のもと、みんなの笑顔の暖かさ、校舎の隙間から見える雪景色の山々の清々しさ、そのコントラストがとても印象的であった。

↓ 札幌市庁舎展示会場パノラマ
Open Panoramaさて、旅の続きであるが、明治期からさらに遡り縄文時代へと続くこととなった。もともと、中沢新一著「アースダイバー」を読んで以来、自分の街の縄文時代の風景はどんなだっただろう?と興味があった。

北海道は本州と違い弥生時代が無く、基本的には近代以前まで狩猟採集中心の生活が続いていた土地。そこには、農耕が創りだした市場社会とは違った文化が形成されていたのだろう。その文化に触れることが、何か硬直し閉塞感の充満する私の頭を開放してくれるのでは?と感じていたからだ。 

その旅を終え、私の頭が解放されたかは?未だ不明だ。しかし、目に映る街の風景が変わったことは事実である。街を歩いていても、ビルの隙間から太古の風景を感じとれるような感覚だ。この街に住み六年が経つ。実は今まで、なんだか地に足がつかないフワフワした感覚だった。それが、とても自然に歩けるようになったのである。

展示参加者リスト(順不同、敬称略)
絵手紙:札幌市立琴似小学校4年生、琴似屯田子孫会
彫刻:唐牛幸史
板書:田山修三
クレイアニメ:キュウイフイルム
彩色写真:伊藤潤
短歌:山田航
篆刻:酒井博史
建築模型:佐々木泰之
テーマ曲:カポウ・古舘賢治・Toy Toy

展示はされませんでしたが、
イベントにご尽力頂いた大勢の皆様、
ありがとうございました、感謝!
<(_ _)>

【関連情報】
※1 Wikipedia:屯田兵
※2 Wikipedia:琴似屯田兵村兵屋跡
※3 Wikipedia:東久世通禧
※4 Wikipedia:田本研造
※5 Wikipedia:写真湿板
※6 Wikipedia:戊辰戦争

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