函館「大正湯」
今もハイカラな洋風建築や上下和洋折衷建物など歴史的な建物が残る函館西部地区。市電通から山の麓に向かって延びる船見坂を登ると見えてくる鮮やかなピンク色の洋風建築が大正湯である。西部地区には港から函館山の麓にかけて八幡坂等、多くの魅力的な坂道があるがこの船見坂は中でも西側に位置し、当時(明治)、港の船舶がよく見えることから名付けられたらしい。
大正湯は店主 小武典子さんの祖父 三蔵さんが1914年(大正3年)に創業、現在の建物は1927年(昭和2年)に建てられたもので、船大工だった三蔵さんがロシアで見た建物を参考にデザインしたとのこと。当時、函館では大火後の街区改正でお役所からロシア・ウラジオストックの街並みを模倣するようにと指導されたらしい(函館市公式観光情報より)。下見板張り、縦長窓等、旧函館区公会堂を思わせるデザインでもあり、当時としてはさぞモダンな建物であったことだろう。
この建物を象徴する外壁のピンク色は終戦後(昭和32年頃)に塗られたもので、二代目店主 父 茂さんの地域を明るくとの願いが込められているそうだ。1989年には函館市の景観形成指定建築物へ、2001年には映画「パコダテ人」のロケ地にもなっている。そして今年の8月、燃料費の高騰、設備(ろ過装置)の故障等でやむなく廃業となった。
銭湯入り口の貼り紙には、まもなくこの建物で100年を迎えるはずだった大正湯への店主 小武典子さんの想いが綴られていた。
閉店のご挨拶
大正3年(1914)
この地で 祖父三蔵が 大正湯を 創業しました。
戦後すぐに 父茂が 引継ぎ、 父亡き後 私と 三代で108年。
西部地区に 銭湯が 大正湯一軒になってから
地域の皆様に ご不便を おかけしないように
私の体力の続くかぎりは 営業してまいろうと思っておりましたが
機械の老朽化と燃料代高騰で やむなく 閉店することに 致しました。
この洋風建物での大正湯は あと5年で 100年でした。
そこまでは 何とか続けたいと思っていたのですが
とても 残念です。長い間の ご愛顧 誠に ありがとうございました。
令和4年8月31日
大正湯 店主 小武典子
小武さん曰く「お客さんは独り住まいの方が多く、内風呂があっても、他の方々と顔を合わせ、おしゃべりが出来るので来られてました。でも、中には古い長屋住まいで内風呂も無いお客さんがいらしゃって、それで、なんとか続けようとがんばって来ました」。また、大正湯の思い出をお聞きしたところ「当時、この地域に十数軒の銭湯がありましたが、どこも北洋漁業の漁師さんたちで大混雑していました。その状況と比べ今のお客さんの減りようは流石に寂しい想いです。」とのこと。
この大正湯、ペンキ絵はないものの湯船は浴室の奥にあり、天井が高く湯気抜きがある。以前、やはり小樽で廃業となった小町湯、だるま湯を観たが湯船が中央で湯気抜きはなかった。どちらかというと関東型の銭湯に近い雰囲気を持っている。
私自身、幼少期を函館で過ごし、銭湯は宝来町に在った宝湯に通っていた。お気に入りのプラモデルを持ち込んだり、お客が少なければ湯船で潜ったり、まー、遊び場の延長でもあった。でも遊びが過ぎたり、シャンプーの泡を飛ばし過ぎたりするとおっちゃんからたしなめられたりもした。
(左の画像クリックで番台からの眺めを観ることが出来ます)
当時、子供たちにとっては親や先生以外の大人からおこられるのは当たり前?の時代でもあり、その意味で銭湯は貴重な地域のコミュニティであったと思う。
脱衣所にはレトロな銭湯定番?の体重計、お釜ドライヤー、マッサージチェア、ホーロー看板、脱衣籠、そしてコーヒー牛乳、フルーツ牛乳…どれも強烈に昭和を思い出させてくれるモノばかりである。風呂上がりの脱衣場で飲んだフルーツ牛乳の冷えた瓶の感触が今でも忘れられないのである。
[函館 大正湯]
場所:函館市弥生町14-9
店主:小武典子さん
撮影:2022年09月03日
機材:Canon EOS R + EF8-15mm F4 L Fisheye@15mm + Nodal Ninja 4
アプリ:Lightroom, Photo Shop, PTGui Pro
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