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オタモイ地蔵堂

オタモイ地蔵堂

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Open Panorama切り立った険しい崖の連なる小樽の絶景ポイント、オタモイ海岸にあるオタモイ地蔵堂。オタモイはアイヌ語で砂の入り江を意味する。ここでは江戸時代末期からニシン漁が行われていて最盛期には100人程の集落があったそうだ。子宝地蔵、乳授けの地蔵とも呼ばれているオタモイ地蔵尊にはさまざまな言伝えがあるようだが、その始まりは北前船遭難者への供養だったらしい。

昭和初期には多くの参拝者で賑わい、お堂の近くにはその参拝者を当てこんだオタモイ遊園地が出来、断崖絶壁にはまるで千と千尋の神隠しを想わせる「龍宮閣」が現れた。しかし、砂上の楼閣ならぬ崖上の楼閣?だったのか、度重なる災害で完成からわずか17年(1952年)で幕を閉じた。

オタモイ地蔵尊

オタモイ地蔵尊

龍宮閣の夢が終わった後も信仰の場としてのオタモイ地蔵堂には多くの人々が参拝に訪れていたのだが、2006年、地蔵堂へのルートである遊歩道が崖崩れにより通行止めに、さらに、一人で地蔵堂を守っていた堂守の村上洋一さんが2022年暮れ亡くなられ、現在、地蔵堂存続の危機が訪れている。

民衆史研究家 石川圭子さんに誘われ、せめて現状の地蔵堂の記録だけでも残そうと親族の許可のもと初夏のオタモイへ向かった。残された唯一の道、崖を下る山側ルートは急勾配でオマケに鬱蒼と草木が生い茂り、まるでジャングルを分け入って進む感覚であった(※1。約30分ぐらい歩いただろうか?暗い草薮から解放され視界が開けるとそこには既に倒壊した村上さんの家屋があった。雪で倒壊したのだろうか?厳しい冬、こんな秘境で一人、三千体近くある地蔵を守っていたのである。

現地滞在中、兄弟で地蔵を引き取りに来た老人に会った。聞くと母親の身代わり地蔵とのこと。村上さんのことを聞いたのだろう「お袋さん(地蔵)をここに置いておくことは出来ないので…」と重い地蔵をリックに背負って急勾配の坂道を黙々と登って行った、三千体のお地蔵さんにはそれぞれの物語があるのだ。

オタモイ、この言葉を初めて聞いたのはなかにし礼の石狩挽歌に出てくる「オタモイ岬」である。

あれからニシンはどこへ行ったやら
オタモイ岬のニシン御殿も
今じゃさびれてオンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは古代文字
わたしゃ涙で娘ざかりの夢を見る

オタモイ海岸

オタモイ海岸

北海道は江戸末期〜明治〜昭和初期にかけてニシン漁が一大産業であったが、昭和25(1950)年以降、全く捕れなくなった(※2。なかにし礼の自伝小説「兄弟」は博打好きの兄との壮絶な話であるが、最後に「兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう」と叫ぶところで小説は終わる。兄は両親の家を担保に増毛の鰊網の権利を三日間買い、見事大漁の網を曳く。しかし、その喜びも束の間、さらに儲けようと、その鰊を本州へ運ぶことにするが、チャーター船が時化に遭い鰊を失うことに…オタモイ、ちょっと物悲しいさを感じる響である。

※1:オタモイ地蔵堂は私有地のため撮影は関係者の許可のもと行っています。地蔵堂までのルートは現在、遊歩道が通行止めのため、山側のルートのみとなっています。このルートは落石やマダニ、マムシ等の危険性があるため、事前に家族、親しい方にその旨をお伝えした後に参拝(入山)をお願いいたします。
※2:ニシン漁については放流や漁獲制限などの効果で2009年以降増加が見られている。

[サイト内関連情報]
panoramas:「兄弟」- 朱文別の夕焼けと鰊番屋
panoramas:「兄弟」- 小樽市豊川町

[オタモイ地蔵堂]
場所:北海道小樽市オタモイ
撮影:2023年05月27日
機材:Canon EOS R + EF8-15mm F4 L Fisheye@15mm + Nodal Ninja 4
アプリ:Lightroom, Photo Shop, PTGui Pro

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